剣道を始めたきっかけ
子供の頃、親から習い事として、運動と楽器をひとつづつやるように言われていた。運動としては、野球やサッカーなど有名処のスポーツがありながら、何故かその時は剣道を選択した。
本人としては全く記憶にないのだが、親の話によるとアニメだったか漫画だったかの「赤胴鈴之助」(武内つなよし著)に憧れて剣道を選択したらしい。
「日本一の剣士にならんと志す赤胴鈴之助は、江戸で名高い北辰一刀流・千葉周作の千葉道場に入門。周作とその娘・さゆりは、厳しい修行を続ける鈴之助を暖かく見守る。」
このアニメが放送されたのは、1972年が最初。テレビアニメとしては、全52話に亘って放送されていて、現在はDVD化されBOXセットも販売されている。
小学校の頃
自分が始めたのは、小学1年生の頃だったかと思う(もしかしたら、幼稚園の頃だったかもしれない)。「赤胴鈴之助」が1972年放送開始という事を考えれば、小学1年生というのが正しいのではなかったかと思う。
通った場所は、道場ではなく当時通っていた小学校の体育館。地元で活動している剣道クラブのようなものが、小学校の体育館を借りて運営していたようだ。このクラブは、2018年現在でも活動しており、30名弱が集まって稽古に励んでいる。
細かいことはよく覚えていないが、学校の授業の後、学校からから帰って来てしばらく遊んでから、再び学校に戻って・・という生活を送っていた。あの重い防具を肩に担いで週2-3回程通っていた。
家の斜め前に住んでいた同学年の幼馴染も一緒に通っていた。この小学校の生徒が最も多く、他にも他校の生徒や地元の大人たちも通っていた。
稽古に励む、というよりは遊びの延長のようなもので、仲間と騒いでいるだけといった感じだったかもしれない。兎に角防具が臭いので、そのことをネタに盛り上がっていたような記憶はある。
先生は、地元の有段者が何名か交代で指導しに来ていて、先生によって当然好き嫌いはあった。好き嫌いというよりは、怖いか怖くないかといった感じだったかもしれないが・・。
昇級試験は何度か受けていて、小学校卒業の頃には2級になっていた。
中学校・高校の剣道部に入部
中学生の頃
中学校に上がると、それまでの流れのままに剣道部に入部。小学校のクラブの仲間の何名かは一緒に入部することになった。
入部して半年程は、竹刀を握ることも防具を付けることもなく、ひたすら体力トレーニングと発声練習を行った。また、道場代わりの体育館の床の雑巾がけも行った。1年生が1列に並び、一斉に道場の端から端まで雑巾を走らせる。
体力トレーニングというのは、他の運動部と同じような内容で、ランニング・腕立腹筋・坂道ダッシュ・兎跳び等々。兎跳びはキツイと思うが、その先竹刀を握るようになって、蹲踞(そんきょ)の姿勢をする際に活きてくる。
発声練習は、道場代わりの体育館の裏山から見渡せる景色に向かって、「エイ、ヤッ、トー!エイ、ヤッ、トー!」などと声を張り上げるようなやり方で行っていた。喉がつぶれ、声が出なくなるもあった。
発声練習といえば、練習前の儀式?として、校歌斉唱と「剣道五訓」の唱和を行っていた。これらもその一環であったのだろう。
半年程してようやく、竹刀の握り方・構え方、足の位置・摺り足、など基本的なことを教わるようになった。小学生の頃から剣道をやり始めた人も、中学校から始めた人も、同じメニューをこなさなければならず飽きてしまう事もあったが・・。
基本的な事を習得すると、防具を付けて上級生と同じように練習をするようになる。細かい練習内容は別の機会に譲るとして、しばらくすると試合にも出場するようになる。
団体戦では、副将・大将を任されることもあったが、学校としてはそれほど強い訳ではなかったため、良くて地区大会の準決勝に残ったことがあったかどうだったか、といったところ。
中学校3年間で、昇級試験・昇段試験を何度か受け、中学校を卒業する頃には初段になっていた。
高校生の頃
高校に上がって中学からの延長で剣道部に入部したのだが、同級生の部員は二人しかいなかった。
ちょっとマンネリ化していたこともあって、モチベーションは上がらない。高校3年間在籍はしていたが、練習は休みがちになってしまった。
昇段試験は何度か受けたが、二段にはなれずに終わってしまった。