韓国、剣道世界大会決勝で「日本判定」主張 長年の「起源」論争が輪をかけ反発
「日本のための剣道ではない」(中央日報)、「韓日いずれにとってもマイナス」(ハンギョレ)――こうした見出しが、韓国紙を相次いで飾っている。
試合は最終戦までもつれる激闘の末、日本の優勝で幕を閉じた。ところが、その結果に韓国では波紋が広がっているのである。
これまでの国際大会でも、韓国側からは何度か判定に対して「物言い」がついている。韓国はビデオ判定の導入などを主張するが、武道としてのあり方を重視する日本などでは反対意見が根強い。
そもそも、武道の試合でブーイングだのなんだのはありえない話。
柔道でもそうでなければならない筈。しかし、残念ながら柔道の国際大会では既にそういったことが見受けられます。
負けた選手が、畳の上で仰向けに寝転んでしまったり、勝った選手がガッツポーズまがいのことをしてしまっている、そんな姿を見かけます。
武道というものは本来「礼に始まり礼に終わる」というものの筈。
試合が終わったらまずは、キチンと道着を正して、勝者も敗者もお互いに礼を尽くす、こういう事になっている筈です。
柔道は国際化してしまったがために、多くのものを失ったような気がします。ポイント制とかね。
剣道にはこうなって欲しくはありません。
私も、小中高と剣道をやっていました。段位は初段で終わってしまいましたが、それなりの誇りは持っているつもりです。
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ということもあって、記事にある韓国の状況には違和感があります。
剣道における一本
韓国はビデオ判定の導入などを主張するが、武道としてのあり方を重視する日本などでは反対意見が根強い。
特にこの部分。ビデオ判定を主張すること自体に違和感があります。剣道における「一本」は、「心・技・体」が一体になったときに認められます。
ただ単に「当たった」とか「触った」とかで決まるものではありません。スローVTRで判定できるものではないのです。
本来、剣道を習う時に一番初めに教わることは、「礼」であったり、この「心・技・体・一体」のことの筈です。
なので、ビデオ判定という発想が出てくること自体に違和感があるのです。
「礼」
「『相手よりもまず自分自身に勝つ』というのが剣道の精神だ。
確かにそうなのですが、「自分に勝つ」という事の中には、「審判の判定に敬意を表する」「勝った相手・負けた相手に敬意を表す」という意味も含まれているのではないかと思います。
記事によると、これまでの国際大会でも判定に対して「物言い」がついているみたいですね。
指導者は武道における「礼」というものをどのように教えているのでしょうか。
外国人にはわかりにくい部分かもしれませんが、この辺はお互い様である筈。
伝統・文化の違い、いっぱいあります。でも多くの人達はお互いにそれを理解しようと努力している訳ですね。
韓国の皆様にも理解して頂ける…筈です。
剣道五訓
私が子供のころ教わって、稽古の前に唱和していたものはこのようなものでした。
一、心身鍛錬
一、根性養成
一、百錬自得
一、誠意実践
他にもいろいろあるようですね。それぞれの道場や学校が独自に決めているのでしょうか。
一、私は礼儀を正しくし嘘を言わない人間になります
一、私は剣道に励み強い体と強い心をつくります
一、私は多くの人の為になる正しい人間になります
一、私は健康であることを父母に感謝し勉強に励みます
一、私は兄弟助け合い友達と仲良くします
一、礼儀を正しくします
一、お父さんお母さんを大切にします
一、先生の教えを守ります
一、自分のことは自分でします
一、友達と仲良くします